「あ~、忘れてた。・・・・・・けど、そうそう、そういえば、こうなるんだったねえ」・・への道 ➁ [夫母子家庭への道]
私は、よく、予知夢を見てしまっている。らしい。
荒唐無稽な夢を見て、それを見たことも忘れた頃に、夢が現実になるのだ。
そして、いつも、何気なく自分がしゃべった言葉を、以前見た夢の中でも自分がしゃべっていたことに、その言葉を発した瞬間に気づくのである。
意識とか、無意識とか、色んな解釈が出来るのだろうけれど、そのたびに私が思うのは
「あ~、忘れてた。・・・・・・けど、そうそう、そういえば、こうなるんだったねえ」
ということ。
運命とか、預言とか、たいそうなことを言うつもりはないが、この感覚は結構大事にしている。
それが、起きたのです。また。
妻と話をしている時に。
しかも、その時の私のセリフときたら
「あ~、忘れてた。・・・・・・けど、そうそう、そういえば、こうなるんだったねえ」
そうそう、そして妻は静かに泣くんだったねえ。
そして、(いきなり場面が飛ぶのが腹立たしいけど)なんか、親子3人笑ってるんだよねえ。
こんな夢を妻と出会う前に見たよねえ。
そんなことがあって、違う考えが、浮かぶようになった。
「私は、自分が生きるために、他人を殺すことができる人間だ。もちろん私、そして少なくとも息子、を生かすために。」
これは、たぶん、ホントのことだ。
そしてそこから導かれる答えは、だいたいこんなところ。
「何があっても妻と復縁してはならない。どう考えてもリスクが高すぎるし、無謀だ。」
自己弁護するつもりなないけれど、これは正論のような気がする。
けれども、ですよ。
ピンチはチャンス、チャンスはピンチと思うと、人生が楽しくなると思う私
私や息子だけでなく、どんな形にせよ世界の皆さん、必死に生きたいと願っていると思う私
「近頃の世の中に逆らおう」と何かにつけて言いたい私
「それでもかまわねえ、愛してる。そして、それぞれのやり方でもっとよくなろう!!」という、ものすごい言葉を、ブサイクな3人組バンドから投げかけられた私
投げかけられたその言葉を、誰かが誰かに発することで、どんな形にせよ世界の皆さん、為合せになっていけるんじゃないかと思う私
その言葉を、妻に、息子に発したい私
そして、いつかその言葉をかけてもらいたい私
こんな家庭が世の中にあってもいいんじゃないかと思う私
これはもう、復縁決定でしょ?
けれども、ですよ。
実際、目の前には問題と不安の山。
何とかなるではどうにもならない。
妻のテンションが上がってくるに連れ、実はテンションの下がっている私。
まだ、腹を括りきれていないから。
最悪、妻か、私が、死ぬ覚悟。
明日、妻が退院する。
一緒に住むのには、まだ少し時間がある。
ので、このブログを借りて、決意を固めたいと思います。
こんな家庭、傍から見たら、すっごい面白いんだろうなあ・・。
「あ~、忘れてた。・・・・・・けど、そうそう、そういえば、こうなるんだったねえ」・・への道 ① [夫母子家庭への道]
離婚し、父子家庭への道を進もうと具体的に模索し始めた1月。
諸々の事情により、ほとんどを息子と一緒に過ごしていた2月。
次第に進もうと思う道が整い、ほぼ、間違いなく、どんなことがあっても、離婚し、息子を引き取れるだろうという確信を持てるようになった。
「後は離婚協議でも調停でも、裁判でも、どこまでもいってやる」
「さあ、明日、妻に話をしよう」
目の前がようやく開けたように思った、2月末。
まさに、ジャストタイミングで、妻からのメール。
「あなたが必要です」
「もう一度やりなおしてください」
&留守電
「明日から入院します」
自殺未遂(走っている車に飛び込もうとし、止められる)をし、心療内科に入院することになったそうだ。
正直、思った。
「これで100%父子家庭になれる」
「この期に及んでまでこれか。いっそ死んでくれてたほうがましだ」
こうなることは予想外ではなかった。生きていくために、こうなる可能性も考えた。
それでも、私は、息子と、生きていくんだと決意していた。
「どんな形にせよ、助けを求めている人を助けられる可能性を捨ててまで、それでも生きる価値はあるのか?」
「私は、自分が生きるために、他人を殺すことができる人間だ。もちろん私、そして少なくとも息子、を生かすために。」
そんなことを、ごちゃごちゃと、ふとした時に考えながら生きていくんだろうなあと思いながら。
しかし、やっぱ、揺らぎますよ。実際。